Logo 法律相談

AsylumStatus.com VISA・不法滞在生活脱出 永住権 グリーンカード

AsylumStatusの活動 - 実例紹介

OPTの後、アメリカで数年経験を積みたい新卒君の選択

2011年6月ごろ、やはりスタッフを良く知っている企業が、従業員のH1bケースが難しそうだという理由で、何とかほかの方法で労働許可書を取得させたいとコンタクトを取ってきました。 H1bを取らせるにはキャリアがないこと、また本人が2-3年経験をして両親のいる日本へ帰国するつもりがあること。 また本人は2-3年のうちに結婚が決まることも考えられるので、その間をアサイラムでつなげればいいとのことでした。

弁護士はアサイラムを行う場合、現在本人にはF1と言うステータスがあるため、ケースが弱いと面接で判断された場合は、落ちる可能性があるので勧めないと反対しました。 しかしH1bのサポートを行えないと就職先が強く言っていることもあり、本人が労働許可書を取得できるアサイラムという方法を取りました。

アサイラムの書類作りは大変でした。通常申請者の過去を模索し、苦しい経験をズームアップさせて日本にいたくない理由を挙げるのが私たちスタッフの仕事の一環なのですが、 今回のケースは申請者が新卒でとても若いため、苦しい経験が体を壊した時の挫折した気持ちしか見つけられませんでした。スタッフと申請者が色々話した中で、 「心配なこととして、日本へ帰ることを考えると、将来が少なからず心配だ」という気持ちがあるとのことでしたので、 私たちスタッフ一同はこのケースのアサイラム申請内容を「リスク回避」というテーマで進めることにしました。

そして面接リハーサル・・・。いざ本番に備えて、面接者が緊張のあまりパニックになったり、逆に頭が白くなってしまわないように、何度も面接の練習をします。 この方の場合、面接官の引っ掛け問題の先を読むことが不安だった為、通常より多くの練習を行いました。

そして、いざ面接。面接は約1時間ちょっと。面接官が地震に関するテーマで準備していた結果は、 「残念ですが、あなたも日本国民も皆同じ状況なので我々はどうすることもできない」というものでした。 「何か言いたいことがあったら最後にどうぞ」と言いました。

本人はいきなり「皆さんのことも理解し、あなたの言うこともわかりますが、僕にとってはシリアスな自分の将来です。 これは自分のことなのです 。皆と同じかもしれませんが、自分は自分の人生として、僕のことなのです!!」と一気に主張しました。 面接官は「それなら一応考慮します。結果は連絡します。今日は帰りなさい」と言うことで、私たち(申請者本人、当通訳スタッフ、弁護士 )は帰ってきました。

2012年労働許可書が届きました。結果アサイラム・ペンディングとなりました。本人は現在無事職場に復帰しました。

ブログの関係記事

その他の記事を読む